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乙未(きのとひつじ)


 ご案内の通り、明けて2015年は、干支(えと)で言えば 32番目の乙未(きのとひつじ)


当ります。元来は木の枝葉の茂り行く象形である「未」を「羊」の意に用いるのは当て字


とのことですが、小生は、漢字の原型「甲骨文字」の未と羊の類似に由来する混用だと推


察しております。羊は羊を前から見た正面形ですし、未は枝葉を伸ばす木の正面形です。


                           羊     盆栽

白川静に拠れば、羊は古代神判の際に神に対する自己詛盟に用いた神聖な犠牲であり、そ


れ故「善」や「祥」は羊に従う縁起の良い字になったんでしょうね。要するに、羊は善人


の証であり、吉祥だった訳です。また、未年生まれの人は穏やかで人情に厚いと言うこと


ですが、小生の出会った本物の羊達は、どうしたことか、頭突きをかましたり前足で叩い


たりする乱暴者が多かった様に覚えています。ところで「美」は羊が大きいことを指すと


早とちりしそうですが、実は羊に下体の「大」を加えて、犠牲の完美を強調しています。


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白川静⑨・・・孔子伝(その3)


 白川静が孔子に寄せる眼差しを通して、私は、初めて 孔子の言葉の律動的な様式美に気

付かされた。孔子の言葉は、弛(タユ)まぬ実践と思索により奏でられる美しい韻律を 伴なう。

                                         Confucius_01.gif

 孔子は、自らの一所不在の亡命生活を 自嘲気味に語る時も 「今、丘(孔子)や東西南北の

人なり・・・」と 詠う様である。 古希間近の孔子が、志を果たせず、最後の安息を求めて 故国

魯に 立ち帰らんとして 滔々たる黄河の流れに 臨み、 嘆く時でさえ 「逝くものは かくの如き

かな、 昼夜を おかず」 と敬虔で節度あるリズムが 聴く者の耳に 心地好く響く。 更に、白川

は特には指摘しないが、孔子の思弁は 否定形で語られる時に 輝きを放つ。否定形による人

間の実相の観察や定義は、自らを尊しとする 力んだ構えが 些かもない。 私は 「義を見て為

さざるは 勇なきなり」 や 「我、 未だ 生を知らず。 いずくんぞ 死を知らんや」 と 孔子の否定

の言葉を 諳(ソラ)んじる時、無限に連なる 先人や後輩達との 確かな連帯を 体感できる。

白川静⑧・・・孔子伝(その2)


 確かに 孔子は (人生の殆どを) 挫折と漂泊のうちに過ごしているが、それにしても、白川
         

静の透徹した視線の先にある孔子像は、何故、かくも気高く、痛ましいのであろうか。

                                             Confucius_01.gif

 孔子の影の様な陽虎、いや世俗の栄達を基準とすれば孔子こそ陽虎の影であろうが、彼

は、孔子に 微笑みながら 「日月逝きぬ。歳われとともならず」と仕官を誘(イザナ)う。 「月日

は 流れ去る。 歳月は 己を 待ってはくれない」とは、 妖しいほどに 卓抜した言辞であろう。

異様とも言える人心操舵の才能である。対するに、孔子は 「諾(はぁ)・・・」と その場凌(シノ)

ぎの恭順の意を示し、逃げる様に 魯国を出て斉国に奔る。途中、束の間の憩いはあれども

孔子の長い 「『殺すもの罪なし』の『盗(亡命者)』」 の生活の始まりであった。 終(ツイ)には、

孔子は 自ら 「東西南北の人」と称したが、なお 「憤を発しては 食を忘れ、楽しんでは 憂い

を忘れ、老い往く身にも気付かぬ」 ほどに 極東の哲人として 求道の人生を生きた。

白川静⑦・・・孔子伝(その1)


                    Confucius_01.gif

 白川静は 『聖書』と『論語』を 敗戦後の虚脱感の中で、 微塵に 砕け散った日本人の魂の

欠片(カケラ)を一つひとつ拾い集め継ぎ合わせる様に、やるせない沈黙と観想の中で読み続け

たという。 そして 両書を (日本の敗戦と重ね合わせて) 敗北者のための思想であり、 文章

であろうと呟いている。 それでも、 白川静の孔子像は、静謐ではあるが 却って 激烈に読む

者の自己解体と再編成を 促す。 白川は 「人の思想が その行動によってのみ 示されるとき、

その人は 哲人とよぶのが ふさわしい」 と断じて、「哲人は 新しい思想の 宣布者ではない。


むしろ 伝統の持つ意味を 追求し、 発見し、 そこから 今 このように あることの根拠を 問う」


として、 孔子という 歴史的な 人格の再現を 試みている。 このようにして、 孔子が 恐らくは

巫女の庶生子であり、 卑賎のうちに成長した と洞察し、 「思想は 富貴の身分から生まれる

ものではない」 という 詩の様な硬質の言葉を 彫り刻みながら 極東の哲人を 凝視した。

白川静⑥・・・早逝の詩人


 「桂東雑記」中の「蓬山遠し」は、夭折の作家、高橋和己に寄せる白川先生の哀惜の念

切々として 読む者の胸を打つ。 私は、高橋和己の絶筆となった「わが解体」は勿論、「非


の器」や「我が心は石にあらず」を 読み通したことがない。 いや読み始めて直ぐに、氏の


反逆と憂憤の痛ましさに 耐えきれず、 本を投げ出してしまうのです。 そして、ニーチェの


「そんなに 深淵を覗き込むな、深淵の底からも お前を見つめているのが 分からないのか」


という狂気の思弁とも言うべき警告に 畏れを抱きます。 同じく全共闘に絡め獲られたとは


言え、藤堂明保と違い、高橋和己については、その断崖絶壁上の煩悶に 戦慄を覚えます。

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 若くして逝った才能を愛(イト)おしむ 先生の呟きこそ 「心遠し」 と言うほかない。曰く、「か

れの生涯は余りにも短く、(かれが早年にして愛した)早逝の詩人『李商隠』に及ばざること、

なお八年であった」。 胸中 これを誦詠すれば 涙滂沱として已まず。

白川静⑤・・・日本語の故郷

 
 三たびの話題重来、「回思九十年」中、水俣で苦界浄土を祈り詠う石牟礼道子との対談。

                     illust29.gif

 白川静先生は、学殖の厳峰にして 詩魂清冽な雅人でもありました。それ故、草木さえ言問う

水俣の地で、 一人、 言葉を紡(ツム)ぎ 詩を織りなし続ける道子を 「日本語の故郷」と賞()

て慈しんでおられました。 白川先生曰く「あなたのよく使っておられるあの地方の言葉は、いい

ですね。 奥行きがあって言葉が重い」。懺悔すると、私はある時期まで、道子は全共闘に担が

れた反公害を標榜する怨念左翼ではないか と疑っておりましたが、対談中の「水俣を考えてい

ると、ああいう (全共闘による大学紛争という) 権力闘争からは 人間の魂に触れるような世界

は開けない」 との述懐に触れ、自分の誤解を恥じました。「先生の書かれる甲骨文の『女』とい

う字は世にも美しい形でございますね」  との詠嘆は、先生を敬慕して已()まぬ、 喜寿間近な

道子の、凛とした静謐の恋ではありますまいか。

白川静④・・・江藤淳の自裁


 二たび、白川静先生の「回思九十年」中、戦後論壇の気鋭の論者、江藤淳との対談。

                                                         photo.jpg

 
考えれば意外でもないとは言い状、まず驚懼するのは、江藤淳ほどの教養人が 白川先生


に寄せる限りない私淑の思いです。  曰く  「(白川先生とお話ができるというので) すっかり


興奮して、こうして京都まで まいりました」 と慕い、「(私は、 文芸批評を四十年余り書き


けているというだけで、)無学無識でございます」と遜(ヘリクダ)るのです。 虚空に気高く
そびえ

る峻峰を仰ぎ見た時、人は無条件で尊崇の念に満たされます。 疑うべくもなく眼前に存在し、

衆生済度を願う学究の菩薩に対し奉り、思わず知らず 跪(ヒザマヅ)くんでしょうね。


 ご承知の如く、 江藤淳は二十世紀の世紀末に夫人の後を追い自裁しました。しかし、限


れた座談の時間内で ひたむきに先生の教えを乞うたその至誠に思いを致せば、彼の自死


逃避ではなく、 夫人との今生の絆の確認という 「ますらおぶり」であったと知れます。

白川静③・・・所謂「民主勢力」


 今、白川静先生の「回思九十年」を読み返していますが、改めて先生の刻苦精励の生涯


粛然とします。 その先生にして、評論家の呉智英との対談で、敗戦後のレッドパージの
渦中

に所謂「民主勢力」の魔女狩り(戦争犯罪者摘発のための密告)により 恩師小泉苳三
を失っ

たことを 「人間の最も卑劣な一面」と怒譴しておられます。共産党や後に社民党と
名を変える

ことになった人達が、敗戦後の混乱に乗じ 赤化革命を妄想してソ連に阿諛し、
日本の再興に

必需であった優秀な同胞達を祖国占領中の米軍に売り飛ばしたのです。

                                                    11253503-blank-gravestone--3d-illustration.jpg

 もはや 絶滅危惧種となった「民主勢力」は、今でも「市民活動家」や「NPO」を名乗り、血塗

られた手で 「護憲」の偽経文を 恥ずかしげもなく捲り誦し続けています。汝ら
天咎峻酷なるを

畏れよ。 どのように「反戦平和」を装うとも 歴史の道径のそこかしこに 汝
らの偽善と売国を弾

劾する石碑は刻まれ、永劫、磨滅せず。これを「地獄」と言うのだよ。

白川静②・・・碩学の背景と条件

 「白川静の世界/Ⅰ文字」を読んでいて、白川先生という巌のようにそびえ立つ碩学が

この世に顕現した背景と条件を改めて認識し、同時に、今後このような知の巨人が日本

から輩出されることはなかろうとの思いを強くしましたね。

                    20091022_1325721.jpg  

 先生自身の学術的才能、即ち、研究対象を見つめ続ける意志の強靭さや対象の分析

と体系化を実現する明晰な頭脳は業績の基盤として当然でしょうが、白川文字学の扉を

開く鍵となった甲骨文字が、先生誕生のわずか二十年ばかり前に、先生を待っていたか

のように発掘されたことは天の配剤と言うほかないんでしょうな。

 
 
また、先生の健康と長寿もただありがたく、漢字研究の金字塔である「字統」、「字訓」、

「字通」の三部作が完成したのは実に先生八十六歳の時であり、九十六歳で遷化される

直前まで「漢字講話」を催すなど長きにわたる学究生活は壮健さあってのものでしょう。

白川静①・・・全共闘を一蹴

 今日、立石の図書館で立命館大学の白川静祈念東洋文字文化研究所の「白川静の世界」

全三巻を見つけて借りてきました。二週間ほど白川静先生の世界にひたれるのでご機嫌です。

                      e0202018b.gif                    

 私も、先生の「漢字の復権と東洋の回復」を目指し、刻苦勉励を生涯にわたって貫いた姿勢

に粛然として頭を垂れる者の一人です。かって、全共闘が暴力によって大学構内を公然支配

し、「解放区」とうそぶいていた時でさえ、先生の研究室だけは、夜ふけまで学問への誠実を

示す明かりが煌々とともっていたと聞きます。こうした大学紛争の間、藤堂明保は全共闘に加

担していましたが、後に先生の岩波新書「漢字」を軽率に全否定し、先生から「文字学の方法」

の中で、その不勉強ばかりでなく、学歴差別癖や左翼イデオロギー偏向を厳しくたしなめられ

ることになります。漢字研究の方法論をはじめとして、いかにも対照的な学者二人の生きざま

と全共闘の逆立ちした権威主義の末路を暗示しているような70年代のエピソードでした。

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プロフィール

東西南北客争来

Author:東西南北客争来
昭和25年 福岡県北九州市生まれ
麺と酒と銭湯を 人並にこよなく愛し
古今亭志ん朝とロッドスチュワートを聴き
柴犬と白川静と池波正太郎に夢中

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